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「こないだからずっと元気ないやん……
別に言いたくなかったら無理に言うことないけど……」
いつもズバリと物を言うUにしては、歯切れの悪い突っ込みでした。
「……ごめん。ホントに、体がだるいだけ。
ずっと寝てばっかりなのに、すぐ疲れちゃって。
部屋に閉じこもってると、本に埋もれてるみたいで、
なんだか……お婆さんになったみたいな気がする。
体力はお婆さん並みだしね」
笑わせようと、努めて軽く言ってみたのですが、効果はありませんでした。
本当は、胸の内をUとVにぶちまけたい気持ちが一杯でした。
けれど、わたし自身にも、自分がどういう訳でこんなに気がふさぐのか、
はっきりと理解できていなかったのです。
「でも……二人とも、ありがとう、来てくれて」
「はぁ? いきなり何を言い出すんや?」
「来るのは当たり前だよー」
「それでも、ありがたいよ。
わたしね、お兄ちゃんや、UとVが居てくれる時だけ、
生きてるんだな、って気がする。
そうでない時は、本の山に埋もれて、眠っているみたいなものかも」
そう言いながら、わたしは悲観してはいませんでした。
むしろ妙に明るい気持ちになっていました。
「そんな……寂しいこと言わんとき。
元気になって出歩けるようになったら気分も変わるて。
教会でもアンタが顔を出さんもんやから、
日曜学校の子供達も寂しがってるで」
「そうだよー。わたしもさびしいよー」
ああ、友達って本当に良いものだな、とわたしは思いました。
けれど、日曜学校で過ごした日々は、遠い思い出のように霞んでいました。
コンコン、とノックの音がして、お兄ちゃんが入ってきました。
お盆にお茶とお菓子を載せて。
「いらっしゃい。お見舞いに来てくれてありがとう」
「お兄さん、お邪魔してます」
「どういたしましてー」
「○○が疲れたらアカンから、もう帰ります」
「○○ちゃん、また来るねー」
「うん、またね」
「なんのおかまいもできませんで、また来てやってください」
神妙に挨拶を交わす二人とお兄ちゃんを見ていると、笑いがこみ上げてきました。
お兄ちゃんは二人を玄関まで見送って、まだ戻ってきました。
「せっかくお茶淹れたから、飲むか」
「うん」
「なにを笑ってるんだ?」
「UもVも昔から知ってるのに、お兄ちゃんが緊張してるから」
「う……二人とも大人っぽくなってて、調子が掴めないんだ」
お兄ちゃんは頭を掻いて苦笑いしました。
「二人とも、わたしと違って発育がいいもんね」
「ん……お前もまだ大きくなるさ」
「なにが?」
「なにがって……背がさ。恐い顔するなよ」
「ふうん」
お兄ちゃんの困った顔を見るのが楽しくて、わたしはわざと怒ったふりをしました。
顔を背けたわたしの機嫌を取ろうと、お兄ちゃんはベッドに腰かけて、
手を伸ばしてきました。
わたしの髪を撫でながら、お兄ちゃんはつぶやきました。
「お前はまだまだ成長する。
でもな……○○には、まだ子供でいてほしい気もするんだ。
つらいことをなんにも知らないままで。
これも兄貴のエゴなんだろうけどな……」
お兄ちゃんの声は、大人でした。
でもわたしは、自分が大人になる前に死んでしまうのだろうと、
心の中で密かに確信していました。
「わたしは……早く、大人になりたい。
ひとりでも生きていけるぐらい、強い大人に。
そうしたら、お兄ちゃんを助けられるかもしれない」
「ん……お前はもう俺を助けてくれてるよ。
けどまぁ、今は体を治すことだけ考えてればいい。
焦ることはないさ」
そんな風に言われても、わたしには自分がお荷物でしかないという意識を、
ぬぐい去ることはできませんでした。
それからしばらく経ったある日の夜のことです。
うつらうつらしていたわたしは、物音で目が覚めました。
目蓋を開けると、暗い部屋に、誰かが立っていました。
目を凝らすと……お兄ちゃんではなく、父親でした。
異様な雰囲気に、息を呑みました。
めったに顔を見せることのない父親が、なにをしにきたのだろう、と。
わたしが目を覚ましたことに気づいているのかいないのか、
父親は独り言のようにつぶやきました。
けれどその声は、わたしの耳にはっきりと届きました。
「お前も、もう廃人だな」