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Yさんは怪訝そうな顔をして、立ち止まりました。
「……どうしたの? 改まって」
「お兄さんにデートを申し込んだのは、身代わりなんです」
「身代わり?」
「はい。わたしの好きな人の、身代わりでした。
違う人とデートしたら、どんな気持ちになるのかなぁ、って」
「それで……どうだった?」
「楽しかったです。思っていたよりも、ずっとずっと」
「そう? いや……良かった。退屈してるかと思ってた」
Yさんがホッとしたような笑顔になりました。
「でも……もう、終わりにしましょう。
このままだと、わたしの好きな人にも悪いですし、
お兄さんに、悪いです」
「どうして? 俺は別に悪く思ってないよ」
「お兄さんは良い人です。
ずっと一緒にいたら、好き……になってしまいそうです」
Yさんの目がまん丸になりました。
「あ! いや、それは!」
「ごめんなさい……でもそれは、2番目なんです。
今日もお兄さんを見ながら、どこかで好きな人と比べてました。
これは、酷いです」
「……そうか……」
わたしが見つめると、Yさんは、長い長い息を吐きました。
「ハァ……それで、もし、俺が許さないと言ったら?」
「え?」
「1日引きずり回されて、ごめんなさい、じゃ割に合わない。
キスぐらいさせてくれなくちゃ、って言ったら?」
Yさんの顔が、ずいっと近づいてきました。
わたしはとっさに両手で口を覆って、一歩後ずさりました。
Yさんはその場を動きませんでした。
「あ……ご、めんなさい」
「アハハハハ……ウソさ」
「……ウソ?」
「初めてうろたえたね。
今日はずっと君にペース握られっぱなしだったから、
ちょっと癪に障ってたんだ。
今のでおあいこ、ってことにしよう」
わたしはまだ、心臓がどきどきしていました。
「ひとつだけ忠告しておくよ。
気安く思ってくれるのは嬉しいけど、
そんなうるうるした目で無防備に男のそばに来ちゃいけない。
黙って不意打ちでキスされちゃうぞ」
「あっ、ありがとうございます」
「アハハハハ……ハァ、何言ってんだろうね、俺は」
Yさんは自嘲するようにつぶやいて、歩きだしました。
「お兄さん、待って」
「え?」
立ち止まって振り返ったYさんに、歩み寄りました。
「顔を前に出してください」
「え、なんで?」
言いながらYさんは頭を下げました。
「目をつぶってください」
「なんなの、これ?」
Yさんは目蓋を閉じました。
わたしはYさんの頭を両手ではさんで、頬に口づけしました。
「……!」
Yさんの目がパッと開きました。
「○○ちゃん?」
わたしは飛び退いて、言いました。
「ふふふ……お兄さんも、無防備ですね。
でもさっきは、格好良かったです。
今のキスで、許してください。これ以上は、無理です」
「あ、ああ……アハハハハハ、許す許す。
……あーあ、○○ちゃんには勝てそうにないよ」
バス停まで来て、気が付きました。
「お兄さん、自転車はどうするんですか?」
「今日は置いて帰るよ。荷物持ちとしては、送っていかないといけないし」
「2人乗りして行きましょう。置いておいたら、盗まれるかもしれません」
駐輪場に行って、自転車の荷台にカーディガンの包みを敷きました。
座布団の代わりです。
Yさんの腰につかまって、アップルパイはわたしが膝に載せました。
「お兄さんの家に、先に行ってください」
「俺の家に?」
「アップルパイ、Uに届けなくちゃ」
「U、居るかなぁ?」
「絶対居ます」
マンションの少し前で自転車を停めてもらって、
わたしは1人でアップルパイを持って行きました。
ロビーの中を覗くと、予想通り、Uがうろうろしていました。
Uがわたしに気がついて、外に出てきました。
「U、こんな所で何してるの?」
「……なんでもあらへん。アンタこそなんで1人やねん?」
「これ、お土産。アップルパイ。後で食べてね。
お兄さんはこれから、わたしを家まで送ってくれるんだって。
安心して、すぐに帰すから」
「心配なんてしてへん!」
「それじゃ……」
Uが追いつけないくらい遠ざかってから、
わたしは振り向いて大きな声を出しました。
「お兄さん、とっても優しかったよー。
わたしの手を引いてくれたし、キスもしたしー」
「なんやて!」
「詳しいことは、お兄さんに聞いてねー」
わたしが荷台に乗ると、Yさんは全速力でこぎ出しました。
「○○ちゃん……酷いよぉ」
Yさんの声は、泣いているようでした。
「うふふ……全部言えば、誤解は解けますよ」
わたしは風を切りながら、はしゃいでいました。
男たらしだなぁ
2017-07-22 07:06:14 (7年前)
No.1