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マンションの1階のロビーで、Uは待っていました。
「ごめん」
「そんなんええから。寒うないか?」
わたしは首を横に振って、また外に出ました。
顔がしびれるような寒さでした。そんなものは無視できました。
「どこに行くんや?」
後ろからUの声がかかりました。
目的地はありませんでした。ただ、歩きたかっただけです。
わたしは無言で歩き続けました。
Uは黙ったまま、少し後をついてきました。
人通りのない小道を、10分ほど歩きました。
立ち止まって、夜空を仰ぎました。でも、なにも見ていませんでした。
小さな声がしました。
「なんか、あったんか?」
「ごめん……話せない。ごめん」
涙があふれてきました。もうとっくに、涸れたと思っていたのに。
「ええから、ええから」
小さな子供をあやすように、Uが背中をぽんぽんと叩きました。
「U……わたし、ひとつだけわかった」
「なにが?」
「ずっとずっと願っても……自分の全てを懸けて願っても……
どんなに心の底から願っても……叶わない夢ってあるんだね。
そんなの、当たり前のことなのにね」
それだけが、全身を貫く実感でした。
「そうやな」
目の前になにか差し出されました。白いハンカチでした。
ポケットに自分のハンカチが入っていましたけど、
わたしはそれを受け取って、顔を拭きました。
「ありがとう」
「うちはここにおっただけや。なんもしてへん」
慰めの言葉を口にしないUの優しさが、心に沁み入るようでした。
わたしは向きを変えて、Uのマンションに戻りました。
「送っていこか」
「もう遅いから、寝て。わたしはもう、だいじょうぶ」
「そうか……ほな、学校で待ってるで」
自宅に戻ってベッドに入ると、心が妙に軽くなっていました。
でもその翌朝も、やっぱり起きあがれませんでした。
鉛を詰めたみたいに、体が重かったのです。
その夜、Vが訪ねてきました。
Vはわたしの顔を見るなり、目に涙をいっぱい溜めて、抱きついてきました。
わたしはよろけて倒れそうでした。
「どっ、どうしたの? V」
「○○ぢゃ〜ん。ヒドイよおぉー」
わたしは自分より身長の高いVの背中に腕を回して、
落ち着かせようとしました。
「え、なにが?」
「Uちゃんから聞いたよー。
どうしてわたしだけ仲間はずれにするのー?」
「ごめん……Vに心配かけたくなかった。
Vはいま、とっても幸せだから……」
「違うよー! 友達が泣いてるのに自分だけ幸せになれないよー。
わたしなんにもできないけど、いっしょに泣くよー!」
客観的に見ると、泣いているのはVのほうでした。
わたしは逆に落ち着いてしまい、泣けません。
わたしはパジャマの袖で、Vの涙を拭いてやりました。
「ありがとう……詳しくは話せないけど、わたし、失恋したんだ。
泣いてくれて……ホントにありがとう」
わたしはその時、VとUの2人は、わたしの一生の親友になるだろう、
と確信しました。
わたしは再び登校するようになりました。
朝起きるのに、気力を振り絞らなければなりませんでした。
あたたかいベッドから抜け出して着替えるだけで、1時間もかかりました。
全身の倦怠感と重さは、失恋の後遺症だと思っていました。
そうではないとわかったのは、年末からサボっていた定期検査の時でした。
肉眼ではわからなくても、尿に赤血球が混じっていました。
腎炎の再発です。
慢性化したら、治らないということはわかっていました。
症状を抑える薬はあっても、損傷した糸球体を治す薬はありません。
再入院して、腎生検をやり直すことになりました。
以前の腎生検では完全なデータが取れていなかったからです。
険しい顔のO先生の宣告を、わたしは平静に受け止めました。
根拠もなく、このポンコツな体は二十歳までもたないだろう、と思いました。
わたしはタクシーで家に帰って、入院の準備を調えました。
再びタクシーで病院に戻りました。
勝手知ったる病院の事務室に出向いて、入院の手続きをしました。
事務のお姉さんが、わたしの後ろにきょろきょろ視線を走らせました。
「えっと……××さん、お母さんは?」
「母にはこれから連絡します。
緊急入院の必要があるそうなので、ベッドを空けてください。
小児科のO先生に問い合わせていただければわかります」