230:
その翌日、わたしは疲れていたのか、昼前まで寝坊してしまいました。
まぶしさを逃れて無意識に転がっていると、声を掛けられました。
「○○、いいかげん腹減ってないか?」
わたしがハッと首をあげると、お兄ちゃんはもうきちんと着替えて、
ベッド脇に立っています。
わたしはあわてて手の甲でよだれを拭きました。
「お兄ちゃん……見てた?」
わたしが上目遣いにおそるおそるお兄ちゃんを見ると、
横を向いてにやにや笑っています。
「くっくっく……見てると面白いから起こさなかったんだ。
お前に関する重大な秘密を知りたいか?」
「秘密?」
「お前、今朝俺が起きたとき、少し口を開けて眠ってたぞ」
「うそっ」
「ホントさ。大口開けるんじゃなくて、少し口をすぼめてパクパクしてな。
金魚みたいで可愛かったぞ」
お兄ちゃんは、我慢しきれなくなったのか、ひーひー笑いだしました。
「…………」
わたしは口を堅く閉じたまま、ベッドを降りて1階に向かいました。
頬がぴりぴりと熱く灼けそうでした。
朝と昼兼用の食事のあいだ、わたしがずっと口を利かないでいると、
お兄ちゃんは情けない顔になりました。
「……○○、まだ怒ってんのか?
笑ったのは悪かった。許してくれよ……」
「怒ってない」
わたしは簡潔に答えました。
本当は、口を開けているのをなるべく見られたくなかったのです。
「本当に……?」
わたしは無言でこくこくうなずきました。
「今日はどうする? もう昼だし、一日のんびりするか?」
わたしはまたうなずきました。
「じゃあ、昨日のクリスマスプレゼント開けてみるか?
ずっと家にいるんだったらパジャマでもいいだろ」
食事の後片付けをしてから、わたしはプレゼントの包みを取りに行き、
お兄ちゃんの目の前で開けようと思って、また階段を降りました。
お兄ちゃんは、リビングのソファーに寝そべっていました。
わたしが隣に座っても、こちらを見ようともせず、
お兄ちゃんにしては珍しく、そわそわと落ち着きがありません。
目の前でプレゼントを開けられるのが、そんなに恥ずかしいのかな、
と思いました。
「お兄ちゃん、開けて良い?」
「ん……あぁ……良いけど、怒るなよ?」
「どうしてわたしが怒るの?」
「Vちゃんからのプレゼントより、だいぶ落ちるかも……」
「そんなわけない」
いつもシックなお兄ちゃんのセンスを、わたしは完全に信頼していました。
「開けるね」
慎重に包装紙が破れないようにラッピングを解くと、
中から出てきたのは、厚手でモコモコした手触りのする服でした。
服というよりは、中身を抜いた巨大なぬいぐるみみたいです。
「お兄ちゃん……これ、なに?」
「あー……それはだな……つなぎ目なしの全身を覆うパジャマだ。
フードも付いてて首を冷やさない」
フードには、間の抜けた猫の顔が描いてありました。
わたしはありありと怪訝な声で、尋ねました。
「これを着るの?」
「あ、いや、まぁ、嫌なら仕方がない。可愛いと思うんだけどな……」
「ちょっと、子供っぽくない?」
「大人用もある、一応」
わたしは内心呆気にとられていて、いつの間にか口が開いていました。
でも、せっかくのプレゼントなのに、疑問ばかり口にしては、
お兄ちゃんが気を悪くするかも、と思いました。
「着替えてくる」
自分の部屋に戻って、鏡の前で着替えました。
鏡に映ったのは、皮がだぶだぶになった、餓死寸前の猫でした。
可愛いと言うよりは、間抜けな格好に見えました。
リビングに降りて行くと、お兄ちゃんはわたしの全身を眺め回しました。
うんうんと大きくうなずいています。
「やっぱりスゲー可愛いぞ。見かけて買っておいてよかった」
「ホントに……?」
問い返しはしましたが、お兄ちゃんの感極まったような口調は疑えませんでした。
「こっち来いよ。コタツはないけど、猫はソファーで丸くなるもんだろ?」
ソファーに深く腰を沈めているお兄ちゃんの膝を枕にして、
わたしは丸くなりました。
「猫飼いたいなぁ……」
「田舎じゃ、ダメなの?」
「婆ちゃんがアレルギーだからな」
「そう……」
自宅では動物を飼えませんでした。許してはもらえませんし、
わたしにも、自分が病気の時に世話をできる自信がありませんでした。
「ま、俺はお前を飼えればいいや」
冗談めかした口調でしたけど、わたしは猫になるのも良いかな、
と思いました。